吉永拓哉さんへのインタビュー
1977年福岡県生まれ『サンパウロ新聞』福岡支局長。 中学時代はヤンキーで暴走族副総長として暴れ回り、19歳で少年院へ。 退院後、1997年に南米大陸放浪に出発。2004年にブラジルの永住権を取得し、邦字新聞『サンパウロ新聞』記者となる。現在は福岡支局長を務めるかたわら、 若者のブラジル留学を支援する「NPOチャレンジブラジル」や、少年院出院者をサポートする「セカンドチャンス!」の活動を行っている。 著書に『ぶっちぎり少年院白書』(二見書房)『ヤンキー記者、南米を行く』(扶桑社)記者として取材・執筆した『100年ブラジルへ渡った100人の女性の物語』(サンパウロ新聞社・編/フォイル)がある。 ホームページ:“STUDIO Edomacho” |
Q1: 現在、どんなビジネスをされていますか?
20代の頃は南米で生活していましたが、現在は地元福岡市で暮らしています。
仕事は、ブラジルの邦字新聞社『サンパウロ新聞』の福岡支局として、ブラジル日系社会に向けた記事の取材・執筆を行っています。 また、その他にも貿易の仕事に携わっていて、ブラジル産プロポリスの輸入販売、日本と南米の雑貨の輸出入をやっています。
Q2: なぜ、南米に行こうと思われたのですか?
少年時代にかなり荒れた生活を送っていて、将来の夢がありませんでした。 そんな時、私の父親から「南米は英語も通じない場所だ。南米では日本の学歴もまったく関係がなく、裸一貫から頑張った者だけが成功できる」と話を聞かされたことで、20歳を機に新天地を求めて南米大陸へと渡りました。 余談ですが、父親は拓殖大学時代に日本学生海外移住連盟の実習生として、南米アマゾンの開拓地で生活をした経験があります。そういった父親の体験から南米行きを勧められたわけです。
Q3: なぜ、ブラジルで起業しようと思ったのですか?また、なぜ、そのビジネスを始めようと思ったのでしょうか?
南米放浪期間中、現地の日系移民が経営する農園で仕事をさせていただきました。その時、日系移民の方々の壮大な夢と努力、ご苦労を目の当たりにして私自身の人生観が変わりました。
最初にビジネスをはじめたのは、3年間の南米放浪生活を終えて福岡に戻ってきた23歳の時でした。南米土産としてブラジル産プロポリスを持って帰ってきて、友人たちにプレゼントしたところ、 すごく好評だったので、「これで身を立てよう」とプロポリスの製造輸入販売をはじめたのです。ブラジルでプロポリスを製造している日系移民と友人だったため、海外取引においては差ほど難しくはありませんでした。
その後、プロポリスの他にも南米の友人たちの人脈を使いペルー産マカの販売なども手がけました。丁度、2000年頃は日本も健康食品ブームで経営は軌道に乗りました。
ただ、その頃はまだ20代前半だったため、活躍の場を日本ではなく南米へ求め、またブラジルへ戻ってしまったわけです。 その後、日本で私のプロポリスを定期的に買ってくれるお客様たちには、ブラジルから直接プロポリスを郵送し、利益を得ながら現地で暮らしていました。 そして2004年にサンパウロ新聞社に入社し、ブラジル日系社会の繁栄に使命感を持って活動するようになりました。
Q4: 最初の起業資金はいくら必要だったでしょう?
恥ずかしながら23歳当時はまったくお金がなかったので、祖母から借金(確か400万円ぐらいだった)し、その資金で『拓プロポリス』というブランドを作りました。
Q5: ブラジルの起業環境について教えてください。
現在、ブラジルは非常に物価が高く、日本の起業家がブラジルで会社を興すには金銭的に非常に厳しいかも知れません。 しかし、ブラジルは世界で最も日系人の多い(日系人口160万人)国であり、日系移民が100年以上かけて培った信頼と基盤があります。 そのためブラジルは親日国家であり、日本の食や文化がしっかりと現地に根付いています。そういった意味においては、日本人にとってブラジルはビジネスの環境が良いと言えます。
Q6: ブラジルでビジネスを行う際に困ったことは何でしょうか?また、起業する際の注意点は?
ブラジルに限らず大半のラテンアメリカ人は「ビジネスにおいて人をだますことは、悪いことではない」と考えています。 従って「人をだますことは悪いこと」と日本式教育を受けてきた日本人がブラジル人と商売をはじめると、まずうまくはいきません。 そこで、ブラジルでビジネスを行う際に重要なことは、ブラジル在住の日系移民を必ずパートナーにすることです。日系移民の方々は長年現地で暮らされてますから、ブラジル人の考え方、習慣をよく知っています。
また、日系移民の方々は言葉もわからないところから、手探りで人生を切り拓いてこられてるので、現地では頼もしい存在です。 日系移民の助言を忠実に守りながら、慎重にブラジルでビジネスをはじめること。そして、はじめから大きな資金を投資せず、小さな仕事からコツコツとはじめることをお勧めします。
Q7: 南米でいろいろな起業家をご覧になられ、彼らに共通することはありますか?
ブラジルの新聞記者をしている関係で、多くの日系移民の成功者たちを取材してきました。
彼らに共通することは、まず度胸があること。
くよくよしておらず、豪傑であること。
現地の人々との友好を大切にしていること。
そして一番興味深いことは、最初から資金があって起業したのではなく、無一文から出発しているところです。
Q8: もし、今のビジネス以外に新たにブラジルでビジネスをするとしたら、どんなことをしたいですか?
前々から思っていたことなのですが、ブラジルには分厚いハンバーグステーキがないんです。ブラジルで食べられているハンバーグは、マクドナルドのハンバーガーに入っているような薄っぺらなものばかり。 ハンバーグステーキは、実は日本から生まれた西洋食なんですね。
そこで、ブラジルでハンバーグステーキ専門店を開き、ジューシーな分厚いハンバーグステーキを熱い鉄板に乗せてブラジル人に食べさせる!お肉大好き、マクドナルド大好きなブラジル人はきっと大喜びです。 さらにブラジルは牛肉、小麦粉、卵などの材料費も安い!
このような『食』をテーマとしたビジネスがブラジルではうけそうです。
Q9: 吉永さんは今後の夢は、何でしょうか?
20代の頃から「日本と南米日系社会の橋渡しになる」と心に決めており、それから10数年間、一貫してこの活動に取り組んでいます。 残念ながら日本における南米移民(日系移民)の認知度は低く、若き日本人はほとんど日系移民との交流はありません。 しかし、日系移民から海外の生き方を学ぶことが、日本の国際的な発展に繋がる第一歩だと考えているため、これからも日本と南米日系社会の交流に全力で取り組んでまいりたいと思います。
Q10: 最後に、これから起業しようと思う人たちへのメッセージをお願いします。
BRICsと呼ばれる新興経済発展諸国の中でも、特にブラジルは資源の豊富な大国であり、しかもBRICsの中で最も親日派です。これからの日本にとって欠かせないパートナーとなる国であると確信しています。
日本人のブラジル進出に目を向けた時、現地のキーマンとなるのは長年ブラジルで暮らす日系移民やその子孫である日系人たちだと思います。彼らこそ日本とブラジルのアイデンティティを兼ね備えた国際人であることから、 日本人は日系人と手を結び、ビジネスを展開させていく必要があると思います。日系人の存在は、日本にとって国益です。同じ民族の血が繋がった日系人をビジネスパートナーに迎え入れ、ブラジルにおける国内事情を入手し、 日系人たちが培った現地での信頼をもってビジネスを進めていかれることを強く願います。